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東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)64号 判決 1964年5月30日

原告 青木正二

被告 高等海難審判庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告代理人は、「高等海難審判庁が同庁昭和三二年第二審第二号事件につき同年一一月一四日に言い渡した裁決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として、つぎのとおり述べた。

一、高等海難審判庁(以下原審という。)は、右裁決において「原告は、乙種一等航海士の免状を受有し、汽船金剛丸(京浜港横浜区において大型船の発着作業を援助する引船で総トン数二三四トン。)に船長として乗り組み、昭和三一年四月七日午前八時三〇分ごろ日本鋼管浅野埠頭前面を発し、三井石炭埠頭に向かう途中、発航して間もなく機関を半速力前進とし、扇町、八江ケ崎間の水路、通称池上運河のほぼ中央をたどつて一時間七海里ばかりの速力で南下中、東洋埠頭に差しかかつたとき、同埠頭南端附近に水先ボート第二按針丸が作業打合せのため来航したのを知り、同時三七分ごろ機関を一時間四海里半ばかりの微速力に減じて続航し、同時三八分ごろ同埠頭南東角から北東微北二分の一北(以下方位はすべて磁針方位である。)二六〇メートルばかりのところに達したとき、川崎第一〇号灯浮標の西方から同埠頭に係留する態勢の汽船第二馬来丸を認め、その操船の妨げとならないよう船首を一点ばかり左転して同灯浮標に向け、ほぼ南微東の針路とした。針路が定まつて間もなく原告は右舷船首ほぼ三点半四〇〇メートルばかりに東行中の三光丸を認めたが、同船は池上運河に入航するものとおく断し、その動向に深く留意せず、三光丸の方位がほとんど変らないまま互に近寄ることに気づかなかつた。その後第二按針丸が右舷側に近づいて進路を反転し、自船と六、七メートル隔てて並列に航行しはじめたので、機関を停止し惰力で進行しながら同船と作業の打合せをはじめ、依然三光丸の動静に意を払わないでいたところ、両船互に接近し、同時四〇分少し前ようやく作業の打合せを終つたとき、右舷船首間近に迫つている三光丸に気づき、驚いて機関を全速力後退に令したが効なく、同時四〇分東洋埠頭南東角から東二分の一南一八〇メートルばかりのところにおいて原針路のまま金剛丸の船首は三光丸の左舷側中央部に後方から約四点の角度で衝突した。当時天候は晴で北西の軽風が吹き潮候は下げ潮の末期であつた。また、三光丸(総トン数一九トン。)は、鋼材約四五トンを積載し、同日午前八時一〇分日本鋼管白石工場岸壁を発し、東京都千住関屋に向う途中扇町、大川町間の水路、通称百間堀のほぼ中央をたどり、一時間四海里半ばかりの速力で南下し、同時三〇分ごろ三井石炭埠頭南西角を通過したとき鶴見埋立地先防波堤寄りを航行するためにはしばらくそのままの針路で進みたいところであつたが、折から日清製粉鶴見工場沖に第二馬来丸が東行していたので、その前路を横切るのを避け、直ちに進路を左転して、同角をぎよう航し、扇町南岸を一〇〇メートルばかり隔ててほぼ東北東の針路で進行中、同時三八分ごろ、三光丸船長田辺恒夫は左舷船首ほぼ三点半にあたり四三〇メートルばかりのところに池上運河を南下する金剛丸を認め、その後その方位がほとんど変らないまま両船互に近寄つたが、相手船において避譲することを期待し、注意喚起の信号を行わないまま続航し、同時四〇分少し前相手船が左舷船首間近に接近して危険となつたので、右舵一杯としたが、船首が五点ばかり右転して南東微東を向いたとき前記のとおり衝突した。衝突の結果金剛丸には損傷がなかつたが、三光丸は衝突個所(左舷中央部)の外板を破損し、浸水著しく同時四五分ごろ川崎第一〇号灯浮標の東方一〇〇メートルばかりのところに沈没した。」との事実を認定し、「本件衝突は、海難審判法二条一号に該当し、原告が他船を右舷に見て互に進路を横切り衝突のおそれのある場合、前路の見張を怠り、海上衝突予防法(以下単に法という。)一九条の規定に違反して、その進路を避けなかつた同人の運航に関する職務上の過失に因つて発生したものである。三光丸船長田辺恒夫が注意喚起の信号を行わなかつたことは遺憾であるが、本件に関し強いて過失とは認めない。」と判断し、原告の所為に対し海難審判法四条二項、五条二号により「原告の乙種一等航海士の業務を一個月停止する。」との裁決をした。

二、原審の右認定事実は、すべてこれを認めるものであるが、この事実に原審が法一九条を適用したのは誤りである。すなわち、法一九条および二一条は、三光丸が法二五条の規定に違反することなく、京浜運河の右側を航行した場合にのみ適用せらるべきものである。もしそうでなく、三光丸が同運河の左側を航行中に生じた金剛丸との見合関係についても同法条の適用があるとすれば、三光丸は法二一条により針路、速力保持の義務を負つている関係から、法二五条に遵いすみやかに同運河の右側(適法側)へ寄るための右転をすることができないことになり、これまで通りの針路、速力を保つて東洋埠頭南東角に近く、かつ京浜運河の左側(違法側)の航行を義務づけられるという矛盾した結果となり、かかる結果を生ずるような原審の解釈は到底許さるべきではない。

三、原審が三光丸の法二五条違反を不問に付したのは誤りである。すなわち、三光丸が当日八時三〇分ごろ三井石炭埠頭南西角を通過したとき、日清製粉鶴見工場沖合に第二馬来丸の東行するのを認めたのであるから、そのとき、三光丸は数分間機関の使用により、速力を緩め、停止し、若しくは後退して、第二馬来丸が三光丸の前面を通過するのを見定めてから前進して京浜運河の右側(適法側)につき東行するのが、この場合の船員の常務としてとるべき適当にして実際的な運用であり、また極めて容易にできることである。しかるに三光丸はかかる措置をとらず直ちに左転して左側(違法側)に進出した違法を犯したものである。

また、三光丸が右八時三〇分ごろ左転して京浜運河の左側へ進出してから後八時三八分ごろ金剛丸を初認するまでの約八分間、距離にして約一、七〇〇メートルを走る間、第二馬来丸は三光丸の右舷後方から漸次接近し、雁行して京浜運河に沿い航行していたのであるから、この間三光丸が数分間機関の使用によつて速力を緩め、若しくは停止したならば、第二馬来丸は三光丸の右側を約一〇〇メートル隔てて無事追越して行つたであろうことは明らかであり、かようにして第二馬来丸をやり過して後、自ら同運河の右側につくことがこの場合の三光丸として実際上最も安全かつ容易な運用というべきである。しかるに、三光丸はかかる措置に出でず最後まで同運河の左側を続航した違法を犯したものである。

さらに、原審が三光丸の港則法一七条違反を不問に付したのは誤りである。すなわち、三光丸は当日八時三〇分以後も引き続き京浜運河の左側を航行し、東洋埠頭南東角に接近したとき、同埠頭の突端を左舷に見ながらこれに遠ざかることなく続航し、同一七条の規定に違反したものであるのに、原審はこれを看過している。

原審は、かかる三光丸の違法を不問に付し、同船が金剛丸と見合つてからの相対関係にのみ注意を奪われ、法律を不当に適用したものである。

三光丸が当日八時三〇分第二馬来丸を認めたとき、若しくはその後においても、機関を使用して、第二馬来丸をやり過してから、京浜運河の右側について適法に航行するか、或いは東洋埠頭南東角をできるだけ遠ざかつて航行していたならば、金剛丸と衝突の虞れある見合関係を生じなかつた理である。すなわちかような衝突の虞れをつくり出したのは三光丸の違法航法によるのであるから、この事実を無視して衝突の責任を判断した原審の裁決は取り消しを免れない。

かように述べた。

(証拠省略)

被告代理人は、主文同旨の判決を求め答弁としてつぎのように述べた。

一、原告主張の請求原因一項は認めるがその余は争う。

二、法二五条は、狭い水道において、安全であり、かつ実行に適する場合に、右側通航を命じたもので、他の一般航法規定とは異なり、衝突の虞れある両船間の関係を律しているのでなく、衝突の虞れある関係を生じさせないよう水道の通航方法を定めたものである。したがつて、同条違反でない場合でも水道の交さするところでは、行先如何によつて互に進路を横切り衝突の虞れある関係を生ずることもあり、このような場合法一九条を適用して衝突の危険を避け、さらに最後の段階においては法二一条但書、二七条、二九条によつて臨機避譲の措置をとることになるのである。本件についてみると、金剛丸、三光丸とも第二馬来丸の介在によつて左側を航行したことは運用の実際上やむをえなかつたもので、法二五条違反とはならない。金剛丸は池上運河の左側から川崎第一〇号灯浮標に向首して進行していたものであり、三光丸は池上運河に入らず京浜運河を東行するものであり、三光丸が右側にあると左側にあるとにかかわらず両船が互に進路を横切り衝突の虞れある関係を生ずることがあるのであつて、現実にそのような関係を生じ、しかも避航するのに十分な余裕があつた本件の場合には法一九条を適用すべきである。そして、いつたん同条が適用される状態になつたならば、衝突の虞れがなくなるまで、金剛丸は避航の義務を負い、三光丸は針路、速力保持の義務を負い、もはや法二五条または港則法一七条による針路の右転は許されないのである。

三、法二五条の「安全にして且つ実行に適する場合」というのは、法二七条の「切迫した危険のある特殊の状況の場合」よりはるかに軽度の必要ある種々の場合において右側航行を免除されることを示すものである。本件の場合三光丸が第二馬来丸を右舷前方に初認したとき、その前路を横切つて京浜運河の右側につくことは運用の実際上適当ではない状況にあつたと認められる。そこで、三光丸としては、特に港内のことであるし、第二馬来丸の係留予定地も迫つているし、やがて減速することも考えられたので、ひとまず進路を左転して京浜運河に出た後同運河の右側につく機会をとらえるのと、行脚を止めて第二馬来丸の行き過ぎるのを待つのとでは、いずれが早く右側につけることができるか予測しかねる状況にあつたのである。そのような状況下にあつては、三光丸が目的地に向うため、ひとまず進路を左転して京浜運河の中央より少し左方に進出したとしても、それはむしろ妥当な運用というべきであり、法二五条に違反するものではない。そして、その後、第二馬来丸と適当な間隔を保つにいたつたなら、右側につくことができたであろうが、同船が右舷後方から次第に接近してきたので、金剛丸と見合うまで、右側につく機会をとらえることができなかつたのであるから、これまた同条違反とはならない。

四、原告には見張りの怠りによる法違反があり、その過失こそ本件衝突の原因をなしている。たとえ、三光丸に法二五条違反があつたとしても、金剛丸側からみると、三光丸が水道の右側におるか、左側におるか、あるいは中央におるか判別しがたいばかりでなく、左側におることが判別できたとしてもそれがやむをえない事情によるものか知る由もないところであつて、現実に進路を横切り衝突の虞れがあり、しかも避航するのに十分の余裕のあつた本件の場合、法一九条を適用して衝突の危険を避けるべきものとするのが海上の実情に則した法解釈である。かりに三光丸が法二五条、港則法一七条に違反していたとすれば、金剛丸もまた右両条に違反したものというべく、さらに同船は法一九条、二七条、二九条にも違反しているのであつて、いずれにせよ、見張りの怠りによる過失責任のあることには変りがなく、右三光丸の法二五条違反は原告の右過失責任に何ら消長をきたさず、被告の原告に対しなした本件裁決は相当である。

かように述べた。

(証拠省略)

理由

原審が裁決に示した事実、すなわち昭和三一年四月七日金剛丸と三光丸の発航から衝突にいたるまでの経過のすべては当事者間に争いがない。そこで、右争いのない事実に検証の結果と弁論の全趣旨を参酌して考えてみる。

原告は、三光丸が法二五条、港則法一七条の規定に違反し、京浜運河の左側を通航したことが本件衝突を惹起した原因をなすものと主張し、三光丸が同運河の左側を通航したことは被告において争わないところである。

右運河の百軒堀入口附近から池上運河の入口附近にいたる幅員(大型船の航行できる航路筋の幅)は、狭いところでほぼ二五〇メートルであることが検証の結果によつて認められるから、これを法二五条の狭い水道ということができ、したがつて右運河に沿つて航行する動力船は原則として右側を進行しなければならないことは同条の規定上明らかである。しかし、右規定は、右側進行を絶対、無条件に強制しているものではなく、「それが安全であり、且つ実行に適する場合」にその遵守を命じているのである。それは、狭い水道に輻湊する船舶の通航を一応右側進行ということで整理するが、それが航行上支障を生ずるとか、そのときの実情に適さない場合には、これによらないで、右側進行が認められるのである。

本件について、これを見るに、三光丸が当日午前八時三〇分ごろ三井石炭埠頭南西角を通過したとき、折から日清製粉鶴見工場沖に第二馬来丸の東行するのを認めたのであるが、この場合同船の前路を横切ることの許されないことは弁論の全趣旨から明らかである。三光丸は、この場合直ちに進路を左転して同角をぎよう航したのであるが、見方によつては、その場合機関を使用して減速し、または停止し、場合によつては後退して、第二馬来丸が自船の前面を通過し終るのを待つて前進し、同運河の右側につく措置をとることも運用として考えられないことはない。かかる運用方法が安全でなく、かつ実行不適であつたと認むべき格段の資料もない。しかし、三光丸としては、かかる運用方法をとらず、前記のように、直ちに進路を左転して同運河の左側についたのであるが、それは、被告の主張するように、港内であること、第二馬来丸の係留予定地が間近に迫つていること、したがつて同船がやがて減速して航行することも考えられたこと、それゆえ、三光丸は(A)行き脚をとめて、第二馬来丸の行き過ぎるのを待つのと(B)ひとまず進路を左転して京浜運河に出て、しかる後同運河の右側につく機会をとらえるのとでは、はたしていずれが早く右側につくことができるか予測しかねる状況にあつたこと、そこで三光丸は(A)の方法をとらず進路を左転したが、同船が右舷後方から次第に接近(その接近も当初において予測しかねたことは前記のとおり。)してきたので、金剛丸と見合うまで、ついに右側につくことができない状況にあつたことが弁論の全趣旨から認められるのである。

右認定事実から判断すると、三光丸が百軒堀を出て直ちに左転したことも、またその後京浜運河の左側を航行し続けたことも、同船のおかれたそのときの状況下においては海上運航者としてとるべきやむをえない措置として理解することができ、この場合前記(A)(B)の運用方法のいずれを選んでも妥当を欠くものとはいえず、したがつて(A)の方法を採ることができるからといつて(B)の方法を選んだものと考えられないことのない本件三光丸の運用を非難できないものと認めるのを相当とする。鑑定の結果も右判断を左右するに足りない。

そうすると、三光丸の左側通航を捉えて法二五条違反であるとし、これを前提とした原告の主張を採用できない。また、港則法一七条違反であることを前提とする原告の主張は、その前提事実を肯認するに足りる資料がない(そればかりでなく、後記認定のように左岸一〇〇メートル間隔を保つて航行した事実に徴すると必ずしも同条違反とはいえない。)から、これを排斥すべきものとする。

つぎに、金剛丸と三光丸との本件衝突は、原裁決の示す認定事実(当事者間に争いのない事実でもある。)の関係からすると、互に進路を横切る見合関係にある両船として、衝突の危険を防止するためには、三光丸を右舷に見る金剛丸において、三光丸の針路を避けなければならない義務があるにもかかわらず、金剛丸は、第二按針丸との作業の打合せや、第二馬来丸の動向に気を奪われ、そのため、三光丸の針路、速力につき必要とする細心の注視を怠つた見張上の過失によつて本件衝突を惹起したものと認められる。

原告は、三光丸が最初第二馬来丸を認めたとき、若しくはその後においても、機関を使用して、同船をやり過してから、京浜運河の右側について航行するか、または、東洋埠頭南東角をできるだけ遠ざかつて航行していたならば、金剛丸と衝突の虞れある見合関係を生じなかつたと主張しているが、当事者間に争いのない原裁決の認定事実と検証の結果を合わせると、三光丸は、左転後終始同運河の扇町南岸を一〇〇メートルばかり隔てて航行していたものであり、金剛丸が最初に三光丸を認識したのは、時間にして衝突の二分ぐらい前、距離にして四〇〇メートルばかり存し、もし三光丸の針路、速力につき注視を怠ることがなかつたならば、避譲の措置をこうじ、衝突事故を未然に防止できる十分の余裕のあつた状況が認められるから、三光丸の左側通航と衝突の結果との間に必然の関係はなく、その結果は金剛丸の右見張上の過失がもたらしたものというべきであつて、原告の右主張を容れる余地はない。

原審が本件衝突事故につき原告の過失責任を認め、乙種一等航海士の業務を一箇月停止する旨の裁決をしたことは、その過失の程度その他の状況からみて、相当で、その裁決の取消を求める本訴請求は理由がないから、民訴八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 大場茂行 町田健次 下関忠義)

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